2021.01.17
こちらも、私たち「高橋美登里礼法きもの学院ボランティアチーム」が行っておりました東日本大震災支援ボランティア「新たな思い出のアルバムを被災者へ」の活動に対して頂戴したものです。
2021年1月17日は、阪神淡路大震災から26年。
昨夜、偶然、神戸新聞の記者を追ったドキュメント番組をみました。
震災の日、外で取材中だったカメラマンは、家が倒壊し火の手があがる街を、必死でシャッターを切った。
「写真を撮る暇があったら、助けに行かんかい!」と怒鳴られた。
「ごめんやで、ごめんやけど、僕はこれを伝えなあかんのや…」
別の記者は、中学生が焼けた家から何かを拾って金たらいに集めているのを見た。
何を集めているのかと聞くと「亡くなったおばあちゃんの遺骨」だと。
少年に許可を得て写真を撮ろうとしたが、涙でなかなかシャッターが切れなかった。
震災の年に生まれた新人記者は、25年経った今、遺族に何をどう聞いたら良いのかとまどった。
そして東日本大震災からは10年目を迎えようとしています。
地震から派生した津波、原発という経験のない恐怖と絶望。
東日本大震災後、私に出来る事はないのか?考えました。
そして、思い出が詰まった大切なアルバムを失い、関東近郊に避難せざるを得なくなった被災者の方に、綺麗にヘアメイクし、着物を着付け、記念写真を撮って差し上げ、その写真をアルバムのトップページに張ってプレゼントしたいと思いました。
そう、私が最もこだわったのは、写真だけではなくアルバムである事。
受け取った方々が「このアルバムの2ページ目からも、楽しく素敵な思い出で埋め尽くせるよう頑張ろう!」と思っていただける事を願って。
書いたことなどない企画書を書き、趣旨に賛同してアルバムを寄付してくださる企業を探しました。
どこもここも断られました。
断る理由はみな同じです。そしてそれは至極当然の事でした。
「趣旨には大変賛同いたします。が、あなたにアルバムを提供したら、私たちは、今後、同じ申し出をした方全員に提供しなければならない」
最後の1社…ここに断られたらもうダメだな…
断られたらアルバムは買おう。
私は、アルバムを買いたくなかった。
お金ではなく100パーセント気持ちでやりたかった。
写真を張るアルバムも「趣旨に賛同した企業からのプレゼントです」と言って被災者に渡したかった。
最後の1社のご担当者も、電話口で同じ理由で「難しい」と言った。
私は「ごもっともです。あきらめます。でも沢山アルバムが欲しいんです。厚かましいお願いですが、格安で分けてください。明日、御社に伺います」と言って半ば強引にアポを取りました。
翌日ご担当者は、会ってくださいました。
そして「あなたの熱意に負けました。社長に掛け合い、差し上げることにしました。実は、阪神淡路大震災の時に僕は神戸支社に勤務していて…震災の恐ろしさを経験しています」
すべてが信じられないくらい私の思いに味方してくれました。
私1人の思いだけでは絶対に出来なかった事。
感謝状を見るたびにちょっと不思議な気持ちになります。
そして即席で出来たチームの素晴らしさにいまだにビックリしています。
そして昨年から続く、コロナ。
コロナは震災ではないけれど、きっと乗り越えられる。
そのために、今は我慢の時。