2015.11.23
六本木1丁目にある泉屋博古館で開催されている「きものモダニズム展」(9月26日〜12月26日)に行ってきました。
会期中、さまざまなイベントがあり、その中の1つに、この展示会を監修なさった着物研究家の長崎巌先生のトークイベントがありました。是非、長崎先生のお話を伺いたかったのですが、何とした事か風邪を引いてしまいました。咳をごほごほしながらではご迷惑なので断念。
咳がおさまるのを待って、11月21日に行ってきました。この日は昭和初期の銘仙を復刻させた秩父の織元、新恵織物の新井教央さんのトークイベントのある日。転んでもただでは起きません(笑。イベントのある日をしっかりリサーチして行きましたよ。
以前、六本木1丁目の駅ビルにあったフォトスタジオで、時々、着物のお着付けをさせて頂いていました。六本木1丁目に来たのは、そのフォトスタジオがクローズして以来なので10年以上ぶり。懐かしかったな〜。
さて、きものモダニズム展、きもので来場の場合は100円引きとの事なので、もちろん着物で。この日はこんなコーディネイト。これでもかくらいの紺色使い。
チケット売り場で、今日のトークイベントに参加したい旨を告げると座席券をくれました。全席指定のようです。
開始時間までに1時間ほどありましたので、展示物を見ながら待つ事に。大正〜昭和初期に大流行した銘仙の数々が展示されています。銘仙は質の良くないくず糸で作るので安価。だけど、多色使いで複雑な絣模様を出せるのでオシャレ。そんなところが大流行した要因ではないでしょうか。が、昭和の中頃になると急激な洋装化の波が押し寄せ衰退したのでしょう。と言う事は、銘仙は、着物の歴史上、最後の大流行品と言う事になるのかもしれませんね。
もちろん、現代でも銘仙は作られていますが、当時のような質の良くない糸は使っていないので丈夫、触った質感も違います。そういう意味では当時の銘仙とは違うと言って良いのではないでしょうか。
母も、お嫁入りの時に銘仙を1枚持ってきました。母が結婚したのは昭和34年ですから、銘仙の最後の世代だったのでしょう。グレー地にピンクや黄色でお花が描かれており、と〜〜っても可愛い着物でした。大層お気に入りだったようで、私の中の“きもの姿の母”のイメージもこの銘仙姿です。もちろん私も大好きなきもので、20代の頃、そのきものを母から譲り受け、本当によく着ました。よく着すぎてヒップの部分の布地が薄くなり破れてしまいました。
銘仙は、糸自体に柄に合わせた色を付け、織り上がると柄が擦れたように描かれる絣(かすり)織りという技法が使われています。これが多色使いだったら糸を染めるのは本当に大変だろうなぁ、と思っていたのですが、銘仙は解(ほぐ)し捺染という技法で糸を染めています。トークイベントで、ビデオを見ながらこの解し捺染の方法を詳しく説明して頂き「なるほど!だから多色でも自由で複雑な絵柄が表現できるんだ!」と納得しました。
詳細は新恵織物さんのホームページをご覧ください。
その他、当時の銘仙を復刻させるに当たってのお話しをしてくださいました。
新恵織物は1970年に新井教央さんのお父様、新井啓一さんが創業したそうです。その際、これからの機やは厳しくなる一方と、周りからは反対の声ばかりだったそうです。そしてそれ以来、秩父では機やは創業していないとの事。やはり機やの未来は厳しいという事なのでしょうか。そんな中にあっても新井啓一さんが常日頃おっしゃっていると言う言葉が印象的でした。
「続く」という字は「糸」に「売る」と書く。我々は糸を売ってもらって、それを織ってお客様に売る事を生業として続けていく事が出来る。
「終わり」という字は「糸」に「冬」と書く。糸が取れなくなるとおしまい、という事。
日本人にとって「糸」というのは、本当に大事なものなのだと改めて。
トークイベント後、もう一度、展示会場を一回りして外に出たら、すっかり暗くなっていてイルミネーションが綺麗でしたよ。
帰りに、以前フォトスタジオがあった場所に行ってみたところ、クリニックになっていてちょっぴりセンチメンタルに。