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高橋美登里礼法きもの学院

ご縁を大切にするという事は

2015.03.19

ずっと以前のお話しです。

 

私が大変お世話になった先生が、お引っ越しなさいました。新居の近くには緑の木々がたくさんあり、また、お部屋の窓からは海が見渡せる自然豊かなところ。先生は「海の幸がとっても美味しいのよ」とおっしゃり、お引っ越しの片付けも終わって落ち着いた頃、先生にお世話になった私を含む6〜7人を新居にお招きくださいました。私たちは駅で待ち合わせをして、電車を乗り継ぎ3時間近くかけて先生の新居に向かいました。このメンバーの年齢はバラバラで、私1人が飛び抜けて若かったと記憶しています。そしてこのメンバーは個々で先生にお世話になっており、メンバー全員が揃うという機会はそう多くはありませんでしたので、ものすごく親しくて気心が知れているというほどではありませんでした。でも、先生から多くを学び、先生と共に過ごしたという共通の思いがありますので、電車の中ではおしゃべりも弾み、まるで修学旅行のよう。アッと言う間に到着しました。

通されたお部屋は8畳ほどの和室。仏壇が置かれていましたので、仏間というのでしょうか。中央に大きなテーブルが置かれ、お座布団も敷いてくださっていました。先生は「さぁ、座って!お茶を持ってくるわね。美味しいお寿司も」とおっしゃって、お部屋を出ていかれました。先生が自慢の海の幸を用意してくださっていた事に恐縮しつつ、一番若かった私は、とにかく失礼のないようにと少し緊張していて、“え~と、上座はこっちだから、私はこっちの下座に座るのよね…”などと考えていました。と、一番年配の方が、ご自分の荷物を置くや仏壇の前に行き、手を合わせました。

私の実家にも仏壇があります。ですから、手を合わせることはあるのですが、それは、自分のご先祖様だから。身内の仏壇に手を合わせる事はあっても、他所のお宅の仏壇に手を合わせたことはありませんでした。が、そのかたは、あたかもご自分のご実家に帰ってきて仏壇に手を合わせるように、周りの目を気にする風もなくごく自然に先生のお宅の仏壇の前に行き、ごく自然に手を合わせたのでした。

このかたはなぜ、赤の他人のお家の仏壇に手を合わせるのだろう?

と、不思議に思い、ハッとしました。
自分の家の仏壇の中に眠るたくさんのご先祖様、その中のたった1人でも欠けていたら、今の自分はこの世に存在しなかった。たくさんのご先祖様の中には、もしかしたら悪事を働いた人や意地悪で強欲な人もいたかもしれないけれど、そんな誇らしく思えないご先祖様でも、いてくれたからこそ今の自分がある。私がこの世に生を受けた事への深い感謝の気持ちが仏壇に手を合わせさせるのだ。とすれば、先生は、やはり先生のご先祖様がいなければ存在しなかった。つまり、私は先生と出会うことができなかった。

先生と出会えて良かったと思うのなら、赤の他人であっても、先生のご先祖様が眠る仏壇に手を合わせる事に何の不思議があるのだろう。そう思い至り、私も手を合わさせていただきました。

 

先生と出会えたからこそ、このメンバーと共に先生の新居にお邪魔できたのであり、このメンバーだったからこそ、仏壇に手を合わせる事の意味を深く考える機会が持てたのでした。

全ての出来事は偶然ではなく、様々な事柄が重なり合って起こるべくして起きている。それをご縁と言うのでしょう。そしてご縁を頂いたその時、何を感じ、どう思い、どのように行動するかによって、人は成長できたりできなかったりするのでしょう。

小さな出来事にも意義を見いだせる感性を持っている事が、ご縁を大切にすると言う事なのではないかと思います。

 

難しい事ですが、ご縁を大切に出来る人でありたいと願っています。